ケアの知恵袋:A Living Archive from Asia

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国際交流基金 ケアの知恵袋のキービジュアルイラスト

2025今秋 GRAND OPEN

A Living Archive from ASIA

土地に根差した野生のケア 移民労働者を介した相互の関係 一筋縄ではいかないケアのもつれあい

ケアの知恵袋写真1
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ケアの知恵袋写真9

はじめにPreface

このプロジェクトについてAbout this Project

対話のきっかけとしての「ケアの知恵袋」

 国際交流基金は2023年から、美学者の伊藤亜紗・東京科学大学教授と「東南アジアの『ケア』プロジェクト」に取り組んできました。ウェブサイト「ケアの知恵袋」には、リサーチで訪れたインドネシアやフィリピン、ベトナム、そして台湾といったアジアの街角で見てきたローカルのケア実践を集め、文字通り「a living archive」として蓄積していきます。さらにケアについて考える対話のプラットフォームとして活用していく予定です。

 リサーチに協力してくれたのは、研究者やアーティスト、プラクティショナー、行政やNGOの職員、アクティビスト、ケアワーカーやドメスティックワーカーとして働く移民労働者、障害者やインフォーマル居住区の住民など、実に多様です。彼ら彼女らがエッセイや論考、イラストやアニメーション、アートワーク、対談といったさまざまなフォーマットで、それぞれの地域のケア実践を共有してくれます。こうして共有されたケア実践に関するトークや座談会などのイベントも随時行なう予定で、その情報発信も本サイトで行っていきます。

具体的な知恵と実践としての「ケア」

 私たちがこのプロジェクトで「ケア」と呼ぶものは、暮らしの中で日々直面するさまざまな困りごとに、どのように対応=ケアしていくのかという具体的な「知恵」と「実践」を指します。「ケア」と聞くと、多くのひとは看護や介護、福祉の文脈での実践を思い浮かべるかもしれません。他者への「思いやり」や「優しさ」といったイメージを持っているひともいると思います。他者を思いやり、助け合うことがケアであることももちろんあれば、場合によっては相手と積極的に交渉し、駆け引きしながら落としどころを探ることもあります。

 社会の仕組みとして作り上げられた法や制度も、困りごとへの解決策を提示する点で一種のケアです。一方で私たちが路地で目撃してきたインフォーマルなケア、つまりある社会やコミュニティ、親族・家族といった限定的な集団の中で慣習的に行なわれている、仕組み化されていない実践もあります。法制度のように汎用性のあるフォーマルなケアは効率的な反面、想定されたバリエーションの埒外にある個別事情には対応しきれないといった課題があります。インフォーマルなケアは、実際に起きている現状にあわせて即興的に対応できる柔軟性がありますが、そのリソースが個人に依存しすぎるという問題点があります。社会が仕組み化されていないケアばかりで成り立っていたら、人々は疲弊してしまいます。

フォーマルとインフォーマルなケアを行き来し、ともに社会を考える

 高度に法律や制度を整備し効率的な社会運営を目指してきた国々であっても、それだけでは複雑化する課題に対応できないという現実に直面しています。仕組み化されたケアやルールにどっぷりと浸かってきた人々にとっては、柔軟で創造力や機知に富むインフォーマルなケアには多くの気づきがあるでしょう。既存の制度やルールでは解決できなかった社会課題へのアプローチに、インフォーマルなケアの工夫や知恵を取り入れていこうとする試みもあります。

 一方で近年特に著しい経済成長を見せる国々にとって、その姿は数年後の自国の社会を写した鏡かもしれません。ほかの国・地域のケア実践を知るだけでなく、彼らが日常的におこなっているケア実践が、日本のような国々の外部のまなざしによって、どのような意義を見いだされているのかを知ることで客観化や相対化が可能になります。フォーマルとインフォーマルなケアを行き来することで、日本とアジア、そして世界の人々とケアについて考え、社会の将来やあり方を議論するのがこの事業の狙いです。

 この対話事業の目的はもう一つあります。それはケアを巡るグローバルな「もつれ」を描き出すことです。日本で私たちが頼る制度化されたフォーマルなケアは、海外から働きに来た人々が支えはじめています。台湾では移民労働者の存在はより顕著です。母国では父や母であった彼ら彼女らの不在によって、担い手がいなくなった家族のケアを親族間やコミュニティのインフォーマルなケアが埋め合わせている構図もあります。複雑に絡みあうケアの「もつれ」にも光を当てながら、ケアと社会について一緒に考えていきませんか。

プロジェクト・ディレクション
国際交流基金

「ケアの知恵袋」とは?What is "The 'Care' Toolbox"?

美学者・伊藤亜紗の写真
「ケアの知恵袋」キュレーター
美学者・伊藤亜紗

 「ケアの知恵袋」にようこそ。このサイトは、アジア各地のローカルなケアのふるまいを集めた図鑑であり、またそれらのあいだのグローバルなもつれを辿るためのサーチライトです。

 限られたリソースを分けあったり、災害で壊れた家や道路を一緒に直したり、役立つかもしれない情報やスキルを教えたり、あるいはただ道端に座ってしゃべりながらお互いの苦労を笑い飛ばしたり…。私たちの日々の暮らしは、お互いのケアなしにはなりたちません。他者への想像力を働かせながら、困難な状況にある人がその状況から抜け出せるように手を貸したり、あるいは利害関係が異なる人のあいだで大きな衝突がおこることを未然に回避したり、私たちは、その場その場の状況に応答するようにして、自分と共同体が「うまくいく」ようにさまざまな手を打ちます。他者への想像力という心の動きと、手を打つという具体的な行為が、ケアの本質を構成します。

 ケアのやり方は、その土地の気候や歴史、さらには宗教や産業や政治体制によってさまざまに異なります。西洋の国々とアジアでは違うし、アジアの中でも国や地域による違いがあります。さらに同じ国や地域であっても民族による違いがあるし、都市か地方かによって、場合によっては向こうの路地とこっちの路地で、異なるケアが見られることもしばしばです。世界がどれだけ情報化しても、ケアはローカルな実践であり続けます。そして、その土地と切り離せないという意味で、あらゆるケア実践は野生です。

 そんな各地に生息する野生のケアを、生きたまま一箇所に集めてみたい――そんな無理難題にとりくんだのが、本プロジェクトです。もっとも、扱うことができたのは、目下のところ東南アジアの3カ国――インドネシア、フィリピン、ベトナム――と台湾のみ。道端や公園、町内会、スクオッター、避難所など、さまざまな場所で見られる人々の日常的なケアの営みを、そこに住んでいる人々やアーティスト、研究者などの手を借りて、なるべくそのまま、生け取りにすることを目指しました。

 なぜ各地のケアの一箇所に集めてみたいと思ったのか。それは、仮にローカルなものであったとしても、お互いの実践を知ることによって、自らのケアを変えていくヒントが得られると考えたからです。ローカルなものは地元の人にとっては「当たり前」ですが、社会の変化等によって、必ずしもそれが「ベスト」でなくなっている場合も多い。そんなとき、他の地域で行われているケア実践を知ることによって、突破口が見つかるかもしれない。相手を知ることによって、自分を知ること。願わくば、この知恵袋に集められた実践が、「ケアする人のケア」としても役立つといいなと思っています。(もちろん、すべての人がケアする人であり、かつケアされる人でもある、と私たちは思っています)

 野生のケアは逞しく、美しいものに映ります。しかしながら、それを手放しに礼賛するとしたら、物事の半面しか見ていないことになるでしょう。なぜなら、個々のケアの実践は、「なぜその人がそのようなケアを行なっているのか」という問いを突きつけているからです。住民たちの手で道路を直さなければいけないのは、行政の無策のせいかもしれません。毎年のように洪水にみまわれるのは、地球温暖化と構造的な貧困のせいかもしれません。その場所でケアが必要な理由は、経済的発展や効率化などの皺寄せが、慢性的にそこに集まっているからである可能性があります。

 特に、移民労働の問題は、国境を越えたケアの複雑なもつれあいを作り出しています。本プロジェクトで扱う、インドネシア、フィリピン、ベトナムは、外貨を求めて多くの移民労働者を海外に送り出している国です。他方、台湾や日本は、労働力不足を補うために、これらの国から移民労働者を受け入れています。家族のお母さんが何年ものあいだ他国の子供を世話するために出稼ぎに行ってしまうと、残された子供は当然のケアを受けられなくなってしまいます。また移民労働者はしばしば劣悪な労働環境に置かれており、彼ら彼女らがケアを必要としている存在です。彼ら彼女らはそれぞれのやり方で互いに助け合いますが、その過程で「地元のケア」が受け入れ国や地域に持ち込まれることがある。こうした「ローカルなケアの輸出」は、受け入れ国のケアのあり方に変容をもたらす可能性があります。

 ケアは「足元」と「はるか遠く」を同時に見晴らすための窓です。「足元」と「はるか遠く」は複雑に絡みあい、もつれあっています。こちらをひっぱれば思いがけないあちらがひっぱられ、あちらをひっぱれば意外なこちらがひっぱられる。私たちもまたその中に組み込まれている、各地のケア実践間のままならないもつれについて、この「ケアの知恵袋」を通して感じていただければ幸いです。

「ケアの知恵袋」キュレーター
美学者・伊藤亜紗


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